夏休みの思い出3
代表のタニムラです。
ここ数日はかなりの猛暑。
暑いのはウェルカムではないですが、もし学生時代だったら、間もなくの夏休みに胸を躍らせているんでしょうね。
さて、今回のお題は「夏休みの思い出」です。
すっかりオッサンとなった私にも、キラキラした夏休みの思い出は多々あります。
その中で「日付まで覚えている」という基準で、思い出を選定してみました。
日付まで覚えているエピソードは2つあるのですが、そのうちの1つについて書こうと思います。
1984年8月10日。今から39年前、私が小学校3年生の夏休みの話です。
当時、私は小学校3年に上がる春休み、親父の仕事の都合で名古屋から大阪の箕面市に転校していました。
今思うとですが、転校先のエリアは”育ちのいいエリア”で、イジメもほとんどなく、最初は大阪弁の戸惑いもありましたが、すぐに現地の小学校に溶け込むことができました。
それとは別に、私は小学校3年生から、月300円のお小遣いをもらうようになりました。
きっかけの詳細は覚えていないのですが、最初のお小遣いの使い道について
「高校野球を観に行く」
となりました。
観たい試合の要素は2つ。
1つは「出身の愛知代表の試合」
もう1つは「PL学園の応援アルプススタンドの人文字」
https://www.youtube.com/watch?v=2Rr8U1TPL7E
その年は偶然にも、1回戦で愛知代表の享栄高校 VS 大阪代表のPL学園でした。
それで、友達と一緒に甲子園球場に行くことになり、互いに親に弁当をつくってもらって、バス停で待ち合わせて、バス、阪急電車、阪神電車を乗りついで行きます。
小学校3年生にとっては友達同士で遠出するのは一大イベント。
甲子園での観戦より、行くことそのものが楽しかったように思います。
何せ、日付を覚えているくらいですから。
甲子園では銀傘下、最上段、一塁よりで観戦しましたが、日陰でもとても暑かった気がします。
スタンドに上がる通路で、見知らぬおじさんから
「PLは三塁側やで」と言われました。
しかし、一塁側でいいのだ。一塁側じゃないと、三塁側のPLの人文字が見れないではないか。
「享栄 VS PL」はその日最後の第4試合だったので、それまでは小遣いがスッカラカンになるまで、かき氷やらを買って、ルールはわかるけど、まだそれほど詳しくない高校野球を”眺めて”いました。
そして、観たかった第4試合、享栄 VS PL は、14-1でPLが勝ちました。
PL学園がやたらと打った。という印象がありましたが、選手達の名前は全くわかりません。
ところが、それから2~3年経つと
「そうか、あの試合が清原が1試合3本塁打を記録した試合だったんだ」
とわかるようになり、思い出がパワーアップしたような気がします。
ちなみに、私は小学校6年生の夏休みに再び転校で名古屋に戻り、一緒に観戦した友達もしばらくしてよそに引っ越していきました。
それっきりになっていましたが、社会人になってから互いに東京で仕事をしているとわかり、28歳くらいの時から時々飲みに行くようになり、
そのつながりから、私含め3組が結婚するのですが
「この夫婦たちの起点は清原3発の試合」
のような気がするのです。
さて、今週末は南の島へ旅行で、セガレは初めて飛行機に乗ります。
セガレにとって、日付を覚えてしまうくらいの、よき思い出になってくれれば。と願うばかります。