小さい頃の将来の夢2
代表のタニムラです。
先日、鈴鹿サーキットに「スーパーGT」を観戦に行ってきました。
昔からレースはそこそこ好きなのですが、何かしら会社としてレースに携わったら楽しいだろうなあと思いました。
「うち製造したパーツを使ったマシンが優勝だ!」
みたいな。
ですが、弊社はシステム屋なので、関わるとしたらIT系なわけですが、なかなか難しいんでしょうね。
で、ウチみたいに、レースには関わりたいけど、直接的には難しい。という会社はスポンサーになって、マシンにロゴを入れるんでしょうね。
ちなみに、週刊少年ジャンプとF1人気の全盛期、マクラーレンホンダのマシンのノーズに、ジャンプのロゴ(けっこう小さい)が入っていましたが、スポンサー料は1億とのウワサでした。
現代の国内レースではそこまでではないのでしょうが、もし社員さん達の賛同が得られれば、将来的には真剣に考えたいものです。
さて、今回のお題は「小さい頃の将来の夢」
自分が思い出せる中で、もっとも古い「小さい頃の将来の夢」は、小学校低学年ごろの
「ブルートレインの運転士」です。
そもそも、この記事を見ていらっしゃる方も「ブルートレイン」を知らない方も多いのではないでしょうか。
ブルートレインは、青い車体の客車を機関車が引っ張る、夜行列車です。
かつては縦横無尽に多数のブルートレインが走り、特に東京から西日本方面は、
あさかぜ(博多)、さくら(長崎・佐世保)、みずほ(熊本・長崎)、はやぶさ(西鹿児島)、富士(宮﨑)の九州行きをメインに
出雲(浜田)、瀬戸(宇野)、紀伊(紀伊勝浦)なども活躍していました。
今ではブルートレインどころか、夜行列車も絶滅危惧種となりました。
物心つくころから電車が好きだったのですが、幼稚園のころ、「快走!特急・ブルートレイン」という本を買ってもらいました。

(調べたら1978年出版だそうです)
ブルートレインは夜中に走り、寝ている間に目的地に着く。
ロクに漢字も読めませんが、ワクワクしながら観てました。
自然と、ブルートレインの運転士にあこがれました。
1984年に、ブルートレインの「富士」が西明石駅で事故を起こしており、その運転士の名前はWikipediaにも記載されていませんが、当時のニュースから私は今でも運転士の名前を覚えています。
不謹慎なエピソードかもしれませんが、それくらいブルートレインが好きでした。
小学校の4~5年になると、時刻表をめくりながら、大学ノートに架空のブルートレイン旅行の計画をいっぱい書きました。
○○駅xx:xx発の△△に乗り、◎◎駅を##:##に下車、その後は▽▽に乗って。。。みたいな。
とにかく、時刻表の上で、たっぷり旅をしました。
例え架空の、時刻表の上での旅でも、当時は十分に楽しかったです。
ですが、ブルートレインには憧れるだけで乗る機会はなく、小6の夏休み、ついにブルートレインに乗れるチャンスが来ました。
寝台急行銀河、東京と大阪を結ぶ列車です。
私の強い要望で、8月末に当時住んでいた大阪から東京に行く1泊旅行をすることになりました。
旅行が確定した後は毎日、親父が取得したきっぷをながめて、胸をときめかせていました。
ですが、8月のお盆に、親父の転勤で名古屋に引っ越しすることになり、旅行は消滅しました。
8月上旬、弟と2人で帰省していた春日井の祖父祖母宅に、転勤辞令を受けた親父から電話があり
「悪いけど、引っ越しで大変だから、ブルートレインの旅行は中止で。埋め合わせに、もっといい旅行に行くようにするから」と。
私は泣きじゃくりました。。。
でも今思うと、ケータイなどない時代、昼間のシゴト中に電話をしてくるくらい、私がいかにブルートレインを楽しみにしているか、親父もわかっていたんでしょうね。
きっと、私より親父の方が辛かったんだと思います。親父はもう亡くなっていますが、あのとき、ワーワー言ってしまってごめんね。と思います。
で、埋め合わせの旅行は、小学校卒業直後、ブルートレイン「さくら」で長崎に行き、帰りは飛行機と、人生初のブルートレインと飛行機に乗りました。
ブルートレインは、名古屋駅を21時台に乗り、2段ベッドの上段に潜るも、駅に停車する度にベッドから降り
「わっ、大阪駅だ!」
と大興奮だったことを思い出します。
親としては夜行列車はやはり疲れるようで
「あんなに時間をかけて行ったのに、帰りはわずか1時間」と言っていました。。。
その後も、オトナになったら、いっぱいブルートレインで旅行するんだ!
と思っていましたが、中学後半になると、興味は2輪へと移り、18歳手前で無事4ツ輪(クルマ)へと正しい男の子として移行し、だんだんブルートレインの興味はうすれてきました。
今思うと、興味が薄れる。というか、ブルートレインの魅力が下がったのではなく、他の魅力が相対的に上がっただけのような気がします。
余談ですが、高校生のころは、東北地方で夜行列車をフル活用してました。
(高2のころはバイクにも乗っていて、鉄と2輪ツーリングの”二刀流”でしたが)
日本全国のJRを乗りつぶしてやろうと。
「東北ワイド周遊券」という、東北地方のJR乗り放題のきっぷで東北地方に高1、高2の夏休み、2回出かけてたのですが、
例として、青森発→上野行の上りの夜行に乗り、AM3:00ごろ仙台で降りて、すぐさま青森行の下りの夜行に乗る。
こうすると、宿代なしで、青森泊を実現できるんです。
これで約1週間の旅行で宿はわずか1泊。みたいなクレイジーな旅をしておりました。
今やれと言われればノーサンキューですが、いい思い出です。
今は当然、小学校の時代と比べれば、お金はあるけど時間はないという状態ですが、
なんとか、今でも存続している夜行列車「サンライズ出雲・瀬戸」にセガレと乗って、熟睡している私を
「わっ、○○駅だよ、お父さん!」
と、たたき起こされたいものです。