マイベスト給食献立4

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代表のタニムラです。

4月に庭に植えたミニトマトなどが収穫時期になり、もぎたてのミニトマトなどの美味しさに感動しております。

特にミニトマトは、もぎたてはとても甘く「野菜」ではなく「果物」のようです。

他にもトマト、枝豆などを育て、いろいろ反省点があるので、来年はもっとうまく育てようと思います。

さて、今回のテーマは「マイベスト給食献立」

給食か。。。

正直、給食で出たものは、パン、ごはん、牛乳を除いて「ソフト麺」しか思い出せません。

私の出身地の名古屋市は、中学校は当時給食がなかったので、最後に給食を食べたのが小学校6年生。

37年以上前のことです。

アルマイト製の食器、スプーンの先っぽの形状、そのスプーンでユリ・ゲラーをマネて「スプーン曲げ」を試みたことなんかは覚えているのですが、
何を食べていたのかは思い出せません。

ネットで「給食 小学校 昭和50年代」と検索すると、いろいろ画像が出てくるのですが、
それでも何を食べていたのか思い出せません。

それにしても、どの画像も貧弱な食事だこと。。。

でも、なんとなく「おいしかったな」という感覚はあります。

訳あって、幼少期から「食事はただの”作業”」との考えがあったからかもしれませんが。

ですが、小学校3年の春に大阪に転校したときの変化のことは覚えています。

まず、牛乳が名古屋では雪印のビンだったのですが、大阪の箕面市では「テトラパック」でした。

そもそもテトラパックを知らない人もいると思いますが、三角形4面で構成された、ピラミッドのような形をしています。

パックには「男体山」とか山の名前がいろいろ書かれており(なぜか「男体山」だけ覚えてる)、飲み口のシールを剥がして、ストローを刺して飲みます。

この剥がしたシール、当時「100枚集めると500円と交換してもらえる」というデマがあり、机の中に集めていたのもいい思い出。

飲んだ後は、まずホームベース型につぶして、最終的には小さな三角形に折りたたみます。

ビンと違って、給食係が片付けるときは、とても軽いです。

当時のテトラパック、どうネット検索しても画像が出てきません。残念。。。

もう同じテトラパック牛乳は存在しないんでしょうね。

でも、ビンの牛乳も、キャップを覆っている紫のビニールは中央に画びょうを刺してねじりこむと、ダーツになるんですよね。

これはこれで楽しかった。

あと、今の事情はわかりませんが、当時は名古屋はほぼ毎日パン、たま~に米が出る程度でしたが、

大阪では毎週火曜、金曜がごはんの日で「米飯給食」と呼ばれていました。

そのときは、昆布や細いたくあんがちょっと添えられて。

この米飯給食の頻度の高さがとてもうれしかった。

おかわりもできたし。

それでも今思うと、給食の6割がパンだったわけで、人生で「ライス or パン」の選択でライスしかチョイスしたことのない私ですが、なんだか当時の自分、かわいそう。。。

一説によると、戦後、アメリカに小麦を押し付けられて、学校の給食はいたしかたなくパン三昧になったとか。

もしかしたら、大阪は日教組が強いので、名古屋よりもごはん率が高かったのかもしれません。

でも、なぜか給食のごはんっておいしいですよね。

母親に「給食のごはんは美味しいのに、なんでウチのごはんはマズいんだ?」と問い詰めたこともあったなあ。。。

あと、献立ではないですが、名古屋と大阪の違いを書いておきます。

(名古屋)歯磨きなし
(大阪)給食後の歯磨きのため、教室の後ろに、各自の歯ブラシ&コップがおいてある

(名古屋)各食器は、アルマイトのトレーに載せる
(大阪)毎日ナプキンを持参し、机にナプキンを敷いて、その上に食器を並べる

ということで、私の「マイベスト給食献立」は

・ごはん大盛
・こんぶとたくあん
・いろんな山が描かれたテトラパックの牛乳
・あとは給食のおばさんのおまかせ

でファイナルアンサー!

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